空手の魅力シリーズ 7回目の今回は「武道」についてです。
空手はスポーツではなく、武道ですね。
だからこそ空手に対して特別な思いを持つ人も多いはずです。
武道と言われると何だか厳しいとか厳格な感じがしませんか?
では具体的に武道って何が良いのか私なりに書いてみたいと思います。
武道とは一体何なのか?
分かってそうで分かっていないという方も多いのではないでしょうか?
私もそのクチです。笑
「武道」という言葉でウィキペディアを見るとざっくりこんな感じです。
・武士道の伝統に由来する修練を通じ「心技体」を鍛える
・人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する
・明治維新以降にできた
・殺傷/制圧技術に技を磨く過程の稽古を通して人格形成を目指す「道」の理念が加わったもの
・残心等の所作が茶道等の芸道とも共通的な事が多い
・組手や乱取り等のスポーツ的要素もある
・柔道、空手、弓道、剣道、合気道、少林寺拳法、薙刀等 色んな種目がある
ということです。
要するに元々は
「武士道の考え方に基づき、特定の格闘術を学ぶ過程で人間として成熟させる」
というモノのようです。
まず持って考え方として、素晴らしいですね。
勝てば良いのではなくて、人間としての成熟が目的の一つですね。
ここがやはり一番のポイントだと思います。
成熟という言葉は少々曖昧ですが、それは個々人によって違うのだと思います。
いくつか解釈はできると思います!
武道の世界では、勝って喜びを表現することは、基本的にはNGです。
従って相手選手を敬う姿勢を忘れてはいけないという事ですね。
オリンピックの柔道とかでも礼が終わるまではガッツポーズとかしない選手を見る機会もあるかと思います。
つまりはそういう考え方なのでしょうね。
この武道の世界において、こういった姿勢は非常に大事です。
よくボクシングとかで相手選手を挑発して、ペースを掴むなんて事も見かけます。
野球でもヤジを飛ばして、相手のペースを乱すというのもあります。
ですが、武道においてこの行為はNGです。
あくまで勝負は実力で勝負!勝ちたければ己を鍛えろ!という事ですね。
北斗の拳に出てくるジャギの「どんな手を使っても、勝てば良い!」というセリフがありますが、武道的には最悪です。
ですが、我々人間の多くはジャギ同様にギリギリで生きているのです。
必死になればこそ、「何としてでも、、、」と思うのでしょう。
所詮きれいごとと言われればそれまでなのかもしれません。
ですが、だからこそ、こういった武道の考え方はかけがえの無いものに感じます。
皆さんの周り、もしくはこれまでの人生で、全ての人が素晴らしい人だったでしょうか?
私は少なくとも何人かのどうしょうもないクズを見た事がありますし、新聞やニュースでは信じられない外道がやはりいるのです。
人間の心をそもそも持ち合わせていない奴には、絶対に分かり合えないと思います。
武道はそんな人間を成長させる事が出来るかもしれません。
武道はそんな人間から身を守ることが出来るかもしれません。
ただ武道を学べば、全てうまくいく訳ではありません。
例えばとんでもない非行少年が更生するという訳でもないし、そんな奴らに襲われた時に、絶対に勝ち切れるほどの実力が付くわけではありません。
ですが、武道は心の成長の手助けをしてくれるのかもしれません。
例えば以下のような感じですね。
・絶対に勝てない相手が居ることを知る
・努力以上に結果に結びつく事がないことを知る
・見た目と実力が一致しない人たちが一定数いる事を知る
・表面的な腕力だけで全て決まる訳では無いことを知る
・自分の意見がいつも正しく通るわけではないことを知る
・礼節を持って臨めば、礼節を持って返されることを知る
・努力すれば返ってくる事を知る
武道の世界は基本的には己の心身の鍛錬です。
確かに空手や柔道の場合相手を倒すための格闘術なので、相手は必要かもしれませんが、あくまでも自分自身を鍛える事が重要です。
一人で何かを成し遂げる事には、その覚悟と根性を試されます。
複数人で行う稽古ならばできても一人でやることは難しいのです。
痛い思いもするのですが、己を鍛え実力が付いてくるのが分かるからこそ、人に対して寛容になれるし、自分に対して厳しくもなれるのかもしれません。
武道とは自分自身、人生との向き合い方を教えてくれます。
例えば全く武道とは関係ないですが、子供の頃、私は勉強が好きではありませんでした。
正直中学生頃まではまともに勉強した記憶がありません。
とはいえ、ある程度のテストの点数は取ることができました。
でも、高校に上がるとそれこそ授業についていけなくなり見事な落ちこぼれ状態でした。笑
その当時に誰かに言われた
「しゃべれない英語は意味がない」
「古文を覚えても人生にやくたたない」
「文系なので微分・積分は知らなくても良い」
こんな事を間に受けて、「俺は現実主義者だ」なんて思ってみた所で、誰も助けてくれない、そしてみんな努力していたというのを知ったのは、随分後になってからです。
我ながら馬鹿だなとは思いますが、実際には「勉強をしなかったのではなく、できなかった」のだなとも思います。
今更自分を恨んでも仕方ないのですね。
でも、空手を始めて色々と分かってきたことがあります。
しかも40過ぎてです。笑
有名な言葉で「不惑の40」という言葉ありますね。
四十にして惑わずという論語の一節です。
私は空手道を通して、自分の人生が少しだけまともになったような気がします。
自分がどれだけ無駄に人生を過ごしてきたのか、空手を通して振り返って見ることが出来るのです。
精一杯人生を生きてきた人ならば、胸を張って生きていけるのでしょう。
ですが、私はそうではありませんでした。
それがわかるのですね。
ここから人生のやり直し。
そして空手という武道を通して自分自身が成長できると40を過ぎて思うのです。
相手と共に成長するという考え方の武道は、多くの仲間や知り合いに恵まれると思います。
特に空手道は武道の中でも愛好者が多く、規模も大きいので実際に腕試し的な大会があったりと学べる土台は整っているのです。
そして何より、武道は教育的な要素を多分に含んでいるのです。
なので子供の習い事として、人気なのでしょうね。
その中に礼節を重んじる武道の考えかたを学ばせたいという親は多いと思います。
これはつまり武士道の考え方を学ばせたいという思いなのでしょう。
我々日本人は、単に勝てば良いではなく、敵ながら天晴れ!という武道の精神が根付いているのかもしれません。
だからこそ、いつまでもこの武士道の精神を忘れたくないという思いが根底に有るのかもしれませんね。
ツイッターでとある空手の先生がおっしゃってました。
世界には「強い選手」は多くいるそうです。
同様に「強い選手を育てるコーチ」も多くいるのでしょう。
でも、世界の空手道場は、「日本人の指導者」を求めるそうです。
これは何か?我々のDNAに刻まれた武士道の考え方を世界では求められるのかもしれません。
例えばムエタイのトレーナーが技術を教えるために来日するのではなく、その精神性を教えるために海外に行くのです。
これは日本人として是非とも残したい考え方だと私は思います。
私はまだまだ駆け出しなので、よくわからないのですが、でもこの先の人生願わくば空手をいつまでも続けていきたいものですね。
皆さんはどう思いますか?
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