カラテウサギの全て空手で解決するブログ(格闘編)

いい年した中年が、突然格闘技・空手にハマった!というブログです

【空手】当て感って何?寸止めの為の練習は意味がない!?

本日の話は、伝統派空手の組手における「当て感」です。

「卵が先か?鶏が先か?」の話と一緒ですね。

 ギリギリで当てない所謂「寸止め」って一体なんなのでしょうか?

 

 

1.空手の寸止めについて

私個人としては、寸止めのシステムは最高ではないにしても、

ベターな方法

だと思っています。

人によっては「当てない」格闘技なんて認めん!!なんていう人も居るでしょう。

まぁ、伝統派空手をずーっとやってその意見にたどり着いたならば、その人はきっと

「そういう考え」の人なんだろうと思います。

単に「当てないから意味がない」というよく分かっていない人の意見は、多分違っています。

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特に肯定も否定もないです。

その人はきっと「当てたいなんだと思います。

気持ちは分からなくもないです。

でも、怪我や後遺症を考えると当てれば良いとは言いにくいですし、責任も持てません。

キックのトレーナーに聞く、パンチドランカーの話とか本当に恐ろしいと思います。

ひとつの怪我が一生を変える事だってあるのです。

 

 

私が何故当てない寸止めが素晴らしいかと言っているのかは下記の記事をご参照ください。

www.karatekagolf.com

当てないという考えは良いのですが、個人的には全く当てないホントの意味での

「ノンコンタクト」

になってしまうのはどうかなと思うのです。 

 

2.全く当てない事の弊害

全く当てないということは、私個人としてはやはりダメだと思います。

理由は以下のとおり

・空手なんだから、相手を倒すためには「当てる」必要がある

・当てないのはあくまでも組手のルール上の事

・当てないのが前提過ぎて、実際に当てることが難しくなる

・軽くでも当てないと威力がわからない

・突きや蹴り方も当てないと分からない事も

・当てることで自爆することもある

・どこにどんな風に当たると効くのか分からない

・突きや蹴りに本物の「怖さ」がない

・当てるのを知らないと本当の意味での距離がわからない

ざっと挙げるとこんな事が思い当たります。

他にもいろいろとある気がしますが、、、。

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当てない事の一番の問題点は、

空手とは格闘術

であるからだと思います。

 

余りにも当てない事を前提にし過ぎてしまった場合、

逆に当てることを極端に嫌がって、

技が全然出なかったり

技が小さかったり

技にスピードが無かったり

するのです。

でも格闘術は相手を倒すための技術です。

物理的な攻撃で相手を倒す以上、当てるのは当然です。

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一言で言ってしまうと、ノンコンタクトを過大に捉えてしまって、当てないことが大前提で当てることを恐れてしまう可能性があるのです。

ジュニア世代は「ジュニア・カデットルール」という、メンホーに少しでも当たったら反則という超厳しいルールを現在は採用しているのです。

少し慣れた選手は、組手試合では反則負けが続出してもおかしくありません。

 

こんな風に全く当てないという事は、もはや対面シャドーをしているような気分になります。

個人的には「これは本来の空手の姿ではない」ように思います。

 

3.「当て感」を磨こう!

「当て感」ってなんだかわかりますか?

実際に当てることで、距離が分かったり、攻撃した感覚が分かったり、威力や効果が肌で感じられるものです。

当て感が分かれば、適正な攻撃距離がわかるので、寸止めもやりやすくなります。

寸止めのための攻撃ではなく、攻撃のための寸止め

ができるようになります。

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上記の違いは非常に大きいです。

当てる事ができれば強弱は自分で制御できます。

痛くない当て方が出来るようになるのです。

 

本来の寸止めとは

当てられる攻撃をワザと止めた!

というのが本来の意味だと思います。

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当てられるのをあえて止めたというのは、当てる技術が確立されている人には効果があるのですが、

そもそも

「当てない人は当てないのが正しい攻撃」

になってしまいます。

これでは本末転倒です。

 

では当て感を磨くにはどうしたらよいのでしょうか?

非常に簡単です。

実際に当てる練習をすれば良いのです。

そうすることで嫌でも当てる感覚が身に付きます。

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例えばこんな練習

・ミット打ち

・サンドバッグ打ち

・マススパーリング(ゆっくりと打ち抜かない組手)

とにかく実際に当てる練習を繰り返すことで、宛感は身に付きます。

当て感があれば、本当の意味での寸止めが出来るようになるのです。

 

4.まとめ

当て感について、書いてみました。

一言で言うと

伝統派空手の「組手のための寸止めが全て」では意味がない

と思っています。

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言葉は悪いのですが、いくら武道だからと言っても、格闘技術である以上相手を倒すことが前提です。

「暴力はよくない」と人は言います。

確かにそのとおりです。

でも、理不尽な暴力に晒された時に、対抗できるのもまた力なのです。

綺麗事を言うつもりもありませんが、

相手を倒すのが、空手です。

組手で勝つことが全てであるならば、それは空手風なスポーツです。

よく「スポーツ空手」などと揶揄される事がありますが、

あながち間違っていないと思います。

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でも空手道の本質は違います。

だから組手の事だけを意識して、当てない練習、寸止めの練習は意味があまりないことだと思います。

組手の練習で怪我をさせないために、当ててないだけです。

現代の伝統派の空手道では、組手の位置づけが割と高い気がしますが、寸止め前提の練習を強いるのはなんだか私は違和感に感じます。

まぁ、仕方ないといえば仕方ないのですが、、、。

皆さんはどうお考えですか?